移植、無菌室での生活
前処置が終わり、あとはドナーさんの骨髄を待つだけとなりました。
とにかく不安でした。
もしドナーさんが病気などで採取不可能になってたら・・・
輸送途中で事故にあったら・・・骨髄液がこぼれてしまったら・・・
骨髄液をこの目で見るまで、不安で不安で、悪いことばかり考えていました。
先生が骨髄液を持ってきてくれたとき、この目で見たとき、ただただ涙が止まりませんでした。
ガラス越しの母も涙ぐんでいるように見えました。
いよいよ移植。移植といっても腎臓や肝臓のように「手術」をするわけではありません。
輸血のように骨髄液を血管を通して入れていきます。
だから、痛いとか、身体に傷がつくとかそういうことはありません。
何度も説明してたはずなのに、父は「ほぉーこうやって移植するのかぁ"手術"するんだと思ってたよ」と・・・
人の話ちゃんと聞いてんだろうか・・・?
今まで透明だったりうすーい黄色だった命綱から、真っ赤な骨髄液が流れてきました。
4mの長い命綱から私の身体へ。命綱を見ない限り、「今入ってるんだ」とかいうのはわからないけど、
3本のうち骨髄液が流れてる命綱だけあったかかった・・・ずっとにぎりしめていた。
約4時間で移植終了。骨髄はちゃんと届くのだろうか?という心配はなくなった。だけど・・・
1つ不安が消えたらまた1つ・・・そんなもんだよね(苦笑)
次の不安は「生着するだろうか?」ということ。
今現在、生着不全は滅多にないことらしいけど(全体の
2%くらい)絶対生着するという保障もない。
ドナーさんと血液型が違えば、血液検査でドナーさんの血液型になっていれば生着してるということ。
私の場合、性別も血液型も同じだから、ある程度白血球が増えてきたところで遺伝子を調べ、
ドナーさんと全く同じ遺伝子になっていれば生着したと確認できるらしい。
2〜3週間で白血球が増えてきた=生着した
と、判断できるけど、遺伝子を調べて確認できたのは無菌室を出た後、
Day+27
その頃は白血球は
7000とかになってたけど、ちゃんと調べた結果の「生着」はほんと嬉しかった。
っと、ここで話を元に戻して・・・
移植が終われば後はただ、白血球が増えてくるのを待つだけ。
「ただ」と言ってものんきに待っていられるわけでもなく、出血や口内炎
etc...と闘いながら・・・
白血球はほとんど
0。血小板と赤血球は0にする訳にはいかないのでほぼ毎日輸血。
血小板が少ないから出血斑がでたり、鼻血などが止まりにくい。
鼻血が出てもティッシュを詰めるわけにはいかず(鼻の粘膜を傷つけるため)、指でずっと押さえてた。
口内炎、口内出血、喉の痛み
etc... 腫れあがった唇は開いたまんま閉じられない。
この痛みも出血も白血球が増えてきたら治る。それまでの我慢・・・
白血球は
200以下は0と同じ。と、言われていても70から50に下がった時はかなりショックだった。
そして
Day+20 白血球がいきなり1430に!!2日前は90だったのに!!
その頃にはもちろん出血もなくなり、腫れた唇もちゃんと閉じるようになってました。
まだ移植して間もない頃、先生が
「無菌室を出るときどうやって出る?歩いて?車椅子?それとも、ベッドのまま?」
私は考えて「その時にならないとわからない」と答えました。だって経験ないんだもん(笑)
すると先生「みんな歩いて出るんだよっ」
そして私が無菌室を出る日。
Nsに「車椅子持ってこようか?」と聞かれたけど断りました。
だってみんな歩いて出るのに私だけ車椅子なんて・・・ねぇ?
って、車椅子どころか、
Nsの手も借りずしっかり?歩いて病棟へ戻りました。
みんなの「おかえり〜〜」がうれしかったなぁ・・・
でもでも・・・
Nsたちみんなが言う・・・歩いてきたの?すごいねー!!
(゚ー゚*?)オヨ? だってみんな歩いてくるんでしょ?
「歩いて出てきたのって
SERIAが初めてじゃない?」・・・ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!先生、だましたね・・・
ほとんどの人が車椅子、中にはベッドに寝たまま戻ってくる人もいるとか・・・
まっいいけどさ・・・
という訳で無菌室を無事脱出♪次は病棟の個室に閉じ込められました(笑)
と言っても
3日くらいでトイレ、洗面OKになったけど。

試験外泊、退院へ
そして
8日後、大部屋に移りました。これもまたみんなに「すごいね。早いね。」と言われて・・・
大部屋に移ってから人と話したりすることが多くなったせいか、泣き虫
SERIAは少しづつ姿を消していきました。
そして
1ヵ月半ぶりに子どもたちと会うことができました♪ただ「うれしい」の一言。
でも帰る時の「ママと一緒にいたいな・・・」は辛かった・・・
なんとか笑顔で見送って、病室に戻って泣きました・・・
早く試験外泊できるように頑張るから・・・と思った日から
12日経った日の午後、私は自宅にいました(笑)
初の試験外泊♪「熱が
38℃を超えたら、夜中であっても病院に戻ってくること!!」
家から病院まで車で
2時間。運転できるのは父だけ。(私が運転するわけにはねぇ・・・)
両親は帰ってきてほしくないような顔してたなぁ(爆)
確かに移植後
1ヵ月半しか経ってないから・・・何が起きるかわからないしね。それに遠いし。
でも帰りましたよ、もちろん!! だってただの外泊じゃなく「試験外泊」なんだから(笑)
これをクリアしないと退院できないし。と強気の
SERIAはタクシー&電車を使って
2回乗り換え(電車)2時間かけて1人で帰りました(笑)ふふっ。やっぱ強人です♪
Ns&ほかの患者さん(°°;))。。オロオロッ。。’’((;°°)
「大丈夫?大丈夫?」何度も言ってました。病棟を出るときの見送りの多いこと(笑)
これって退院?そう思ってしまうくらい(笑)そんなに心配しなくても大丈夫だよぉ〜(゚▽゚*)ニパッ♪
でも・・・ホームの階段だけはきつかったなぁ・・・足ってこんなに重かった?って感じでした・・・
まあまあ大きな駅なのにさぁ・・・エスカレーターないのぉ???線路を横切りたい気分でした。
家では熱が出ることもなく、病院に戻ってからの検査も
OK
2回目の試験外泊&戻ってからの検査もクリアし・・・退院決定♪
なんと
Day+64!! これには自分でもびっくり♪
今年いっぱい入院する覚悟で・・・そう言われていたのに、今年が半分も終わらないうちに退院です。
これ(
Day+64退院)は最短記録らしいです。
そして退院の日。うるうるするかな?と思ってたけど意外とあっさりしたもんでした・・・
最後に先生にあいさつ。そこで両親「こんなに早く連れて帰るのはなんか怖いです」と。
先生「そんなこと言ってもココにももういる必要はないよ」
ま、なんとか帰れることになり(苦笑)お世話になった病院をあとにしました。
帰り、ちょうど息子の下校時間に学校の前を通ったので驚かせようと学校へ。
息子には話してなかったんです、退院のこと。退院が決まってもあくまでもそれは予定。
実際に病院をでるまでに熱が出たり何かあったときはもちろん退院できないから。
ぬか喜びはさせたくなくて内緒にしてました。
学校に着くと
1年生が校舎からでてきているところでした。まだ入学して間もないので先生もお見送り。
私はちょっと離れた車のところにいて、母が迎えにいきました。
母が話してる、あの人が担任の先生なんだぁ〜
入学式は無菌室の中だったので先生の顔を見るのも初めて。
そして・・・すごい勢いで先生が走ってきて「おめでと〜〜〜」と抱きつかれました(笑)
先生は戻っていき、息子は・・・・・いたっ!!
母が私のほうを指差して息子に何か言っている。そして息子が私に気づく・・・
「きゃぁぁぁぁぁ〜〜〜〜」と叫びながら走ってくる息子。
それを見て飛び跳ねて喜んでいる先生(笑)
・・・・・よかったぁ、退院できて(ノ_・。)クスン・・・

SERIAの「CML闘病記〜CML発覚から骨髄移植、退院までの記録〜」はこれで終わりです。
最後まで読んでくれてありがとうミ★(*^▽゚)v Thanks!!★彡
「CHAPTER3&4」は移植から4〜5ヶ月経ってから書いたのですが、
それでも思い出すのが辛く、泣きながら仕上げました。
告知されてから移植、退院まで9ヶ月。
病気になったことは幸せとは言えないけれど、その後順調に進んだことはとても幸せなことと思います。
医療スタッフのみなさん、ドナーさん、家族、友達、そしてNETで知り合い応援してくれたみなさん
ほんとにほんとにありがとう!!
この幸せがずっと続きますように・・・闘病記がこれで本当の完結でありますように・・・・・
                                        2001.08.23 SERIA@管理人
CML 闘病記

CHAPTER4  
2001.03 VOL.2