血液検査
2000年8月17日、何日か胃の痛みが続いていたので近くの病院にかかりました。
動悸など貧血の症状もあったのでついでに血液検査も。。。
その「ついで」の検査がSERIAの闘いの始まりになるとは。。。
白血球と血小板の数値が高く、明日、大学病院で再検査するようにと言われました。
翌18日、大学病院に行きました。昨日の血液検査の結果を見る限り、
何らかの異常があるのは間違いないだろうと言われ、
骨髄穿刺(マルク)をし、その結果、骨髄に異常があるのがわかりました。
はっきりした病名は詳しい検査が必要ということで2週間後を待つことに。。。 

長い長い2週間
結果を待つ2週間、最初の1週間は図書館に行ったり、インターネットを使って
色々と調べました。可能性がある病気として聞かされていた
「本態性血小板血漿」と「慢性骨髄性白血病」
症状からみても「本態性血小板血漿」の可能性が強いだろうな、と思っていました。
というより、白血病だけは絶対に嫌だという気持ちからかもしれません。
そして次の1週間。今までこれほど長く感じる1週間があったでしょうか。。。
初めて「死」というものを考え、何をどうすればいいのかわからない。
ただただ、ゆっくりとしか流れない時間を恨めしく思いながら、
「白血病じゃなければ。。。」という気持ちと
「どんな結果であろうと早く聞いて楽になりたい」という気持ちが闘っていました。
結果を聞く日が、ある意味待ち遠しかった。。。
 
告知
9月1日。検査結果を聞く日が来ました。
「残念ですが。。。」先生の最初の一言で病名はわかりました。
「慢性骨髄性白血病」
どんな病気でどんな治療が必要でどんな今後が待っているのか。。。
色々調べていたので復習のようなもので、
意外と冷静に、落ち着いて先生の話を聞くことができました。
でも少しだけ、手が震えていました。。。

入院
告知から約3週間後、病院のベットが空くのを待って9月25日入院しました。
インターフェロン投与を始めるためです。
インターフェロンは副作用が強く(個人差はありますが)
打ち始めはインフルエンザのような症状が出ることが多いので
熱が出るのをコントロールするため(?)に入院します。
それと、自宅での自己注射になるので、練習も兼ねて。。。
 
姉とのHLA不一致、バンク登録へ
入院前の9月18日、姉がHLA検査を受けてくれました。
その結果は「HLA不一致」。。。
「これから頑張るんだ!!!」と
気合いを入れて臨んだ入院初日に聞かされるとは。。。 
姉と私の2人姉妹なので可能性は低いとは思っていたけれど、
実際に結果が出ると、何とも言えない気持ちでした。
自覚症状がほとんどないだけに「まだ実感がなくて」と
よく言ってましたが、自分でも気づかないところでちゃんと受け止めていたんですね。。。
という訳で、バンクに登録することになりました。
適合者がいるか、また結果を待ち続ける日々が始まりました。 

インターフェロン投与開始
入院2日目からインターフェロン投与が始まりました。
副作用のことを考えると不安しかないけれど、打たない訳にはいかないので。。。
9/27 AM 10:00 初めてのインターフェロン。
そして、ちょうど昼食の頃、寒気がしてきました。
PM 3:00頃には、熱は39℃。。。
朝、昼、夕方(4時)と解熱剤を飲んでも全然下がらず
PM 8:00に座薬を使い、寝る頃にやっと下がりました。
3〜4日熱が出て、5日目くらいからは身体が慣れたようです。
でも、さすが?インターフェロン、いろんな副作用がでます。
食欲不振。おなかすいたな?と思っても食べ始めると
2〜3口でおなかいっぱいになる。。。入院中3kgやせました。
他の副作用(たぶん)の症状としては、
頭痛、眼痛、全身倦怠感、耳鳴り、動悸、脱毛、抑うつetc...
これらが1度にではないけれど現われます。
今、打ち始めて4ヶ月(2001.01現在)くらいですが、AM 9:00頃打って
夕方〜夜にかけて悪寒がし始め、夕食後の薬(カロナール)で治まる、
というのが毎回恒例の流れです。未だに熱が出ることもあるけど。(苦笑)
先生曰く、「インターフェロン慣れしない体質なんだね」(笑)
慣れたいような、慣れたくないような。。。複雑。。。
 
ドナー見つかる!!!
精神的に疲れてきた入院3週間目。
体重&白血球が減っているせいか、なかなか退院が決まらない。
そんな時、毎回、血液検査の結果を知らせてくれる先生が
いつものようにやってきて、いつものように結果を伝えて。。。
感情を表に出さず、たんたんとしゃべる先生の口からでた言葉は
「ドナーが5人見つかりました」
先生、もうちょっと嬉しそうに言ってよ。。。(笑)
先生の影響か、ドナーが見つかったという朗報にもかかわらず、
たんたんと表情も変えず話を聞くSERIAでした。(苦笑)
まさかこんなに早い段階でドナーが見つかるとは思っていなかったから
ただただ、びっくり!!!で、おまけに5人も。。。
先生が去っていった後は、泣きそうでした。。。
バンク(骨髄だけじゃなく)に登録してくれているみなさんには、
ほんとに感謝です。頭が下がります。
どんな感謝の言葉をならべても足りないくらい。。。
みなさんのおかげで助かる命があることはもちろん、
笑顔、勇気、希望etc...いろんな幸せを提供してくれているんですね。
「ほんとにほんとにありがとう!!」
これから、ドナーとして、患者として味わえる幸せを
たくさんの人に知ってもらえるといいな。。。と思っています。
話は戻りますが、ドナーが見つかるという朗報に隠れるようにもう一つ。
同じ日に退院が決まりました。という訳で10/16幸せな気分での退院です。
 
急性転化???
退院して2週間後(1回目の外来)、血小板は入院中の倍になっていました。
インターフェロンを増やしたり、ハイドレアを併用したりしましたが
血小板は全く下がりません。SERIAに似て頑固なのかな?(笑)
そんな状態の中、S病院に転院しました。
今お世話になっているK大学病院では
非血縁者間の移植はしていないのでS病院に転院して移植します。
S病院初受診の11/27。最近の血液検査データを見て
「移行期、もしくは急性転化期に移行してる可能性がある」
と言われ、2回目の骨髄穿刺(マルク)となりました。
今回は採取量が多いので腸骨から…どこから採っても痛いです(泣)
「君は(骨髄が)採りにくい」と言われ、時間がかかってしまいました。
でも次の外来で、進行はしていないとの結果を聞いて安心しました♪
しか〜〜し。
インターフェロンの効果は、まだ、全くでてないらしく
9割の細胞が白血病に侵されていました。。。ふぅ。。。

勝負の年2001年START
11月末頃からずっと、入院の可能性もあったけれど
病院で年越し、という最悪のパターンは免れました♪ が。。。
あれだけ下がらなかった血小板が年末頃からどんどん下がり、
それに伴い白血球も下がり(下がりすぎかも。。。)
週一の外来でもコントロールが難しいとのことで入院することになりました。
移植の話も進んでいるのでそのまま移植に突入する可能性も高く、
「今年いっぱい入院する覚悟で。。。」と言われました。
今年って…まだ始まったばかりなのに。。。(泣)
という訳で1/22に入院し、移植に向けての検査の毎日が始まりました。
数ある検査をクリアし、血小板&白血球も安定し。。。移植日も決定しました!!
3月上旬で話は進んでいたけれど3月末で決まりました。
「検査クリア&病状安定&移植日までちょっと日にちがあいた」
ので、一時退院です♪3週間後には戻って来なきゃいけないけど。。。
うれしいけど、ちょっと怖い退院でもあります。
移植を控えてるだけに、私1人の移植じゃないだけに(ドナーさん&病院)
先生から言われたことは「風邪ひくな!怪我するな!事故するな!!」でした。
よっぽど退院は止めようかとも思いましたが。。。(苦笑)
あまり神経使いすぎず、家でのんびりすごしましょう♪と、
開き直って(?) 2/11一時退院です。

移植は準備も大変(苦笑)
「家でのんびり。。。」のはずが、そういう訳にもいきません!!
移植のための準備が大変なんです。
移植日の1週間前くらいから約1ヶ月無菌室に入りますが、
無菌室に持ち込むものは全て滅菌します。
滅菌するのに2〜3日かかったりもするので、
パジャマも下着も10枚は用意しなければなりません。
他に、スプーン&フォーク5本ずつ、割り箸100本、マグカップ5コ、タオル8枚etc...
飲み物は基本的に缶のもので、開けてしばらくたったものは
処分しなければいけないので、2ケース程用意しました。
次の入院は期間が長いのでいろいろとしておかないといけないことも多く、
3週間のシャバ生活は、移植の準備(買い物)や、確定申告で、
ゆっくりする暇もほとんどなく、あと5日で終わりです(T^T)
病院に戻ってからゆっくりするか〜〜(って、出来るのか???)

告知から移植前までを振り返って
2000.08.17の血液検査から約半年。
結構、あっと言う間に過ぎました。でも、内容の濃い半年でした。
告知を受け、死と向き合い、入院、自己注射。。。
いろんなことがあった半年だったけど、未だに実感してない部分があるのも事実です。
2回目の入院の時、初めて聞かされた事実があります。
8/17の検査の時「慢性期」ではなく、すでに「移行期」へ進行していたそうです。
もし、「ついで」に血液検査を受けていなければ、今頃は。。。
治療を開始したことで、「慢性期」に引き戻すことができたんですね。。。
ギリギリのところで病気を発見できたこと、
早い段階でドナーが見つかったこと、移植を受ける準備が調ったこと・・・
今まで順調に進んできたこの波に、最後まで乗って行ければと思っています。
あとは、自分の強さを信じて。。。
 
試練と闘っているあなた
病気と闘っているあなた
孤独と闘っているあなた
負けないでください
まだまだやることは限りなくあります
まだまだ育てることがいっぱいあります
みんなあなたを待っています
一日も早くやりとげてください
一日も早く元気になってください
一日も早くすばらしいあなたになって帰ってきてください
 
知人に一枚の色紙をもらいました。
そこには私のために書いてくれた言葉がありました。
ありがとう。。。絶対帰ってきます!!!

CML 闘病記

CHAPTER1 
2000年8月〜2001年3月